🔶ギンガ先生の部屋🔶

 

この方はとっても熱く、繊細で、濃やかな感性をお持ちの、不思議な方です。フォークロアーな話から、コミカルなエッセイ、郷土愛に溢れるうどん噺から、詩まで、多彩な感性をお持ちの、サロンには欠かせない存在です。これからしばらくはお仕事が忙しく、参加できないかもしれない、(真面目な人なので、何事も真剣に真っ直ぐに取り組まれるのです。以下の文章、そういうギンガさんのパッションや愛や慈しみの心がよく現れていて僕は読むたびジンと来てしまいます)とのことで、僕からお願いして、過去の『物語』たちから、掲載許可をいただけたもののみをアップさせていただきました。ほんとはもっと凄いのがあるのですが、それはまた将来ビリケンで生で語って戴けるのを聴きにいらしてくださいな♪ 2018年正月吉日  花田 記。

 

◆◆◆◆ ④【うどん占い】

↑↑ 1分30秒で声で伝えて戴いたCD作品より。

 

 香川県民にとって、さぬきうどんがソウルフードであることは言うまでもないが、時として、好むうどんがその人の人間性を浮き彫りにすることをご存じだろうか。

 

 

 

不器用で頑固で腹黒いわたしの姉が勧める店は「むか一(むかいち)」。出てきたどんぶりの中にはしめ縄を思わせる無骨で野太い麺。弾力が強すぎて噛み切るのも一苦労である。消化をも拒否するその手ごわさは、姉そのものであった。

 

 

 

クラス一モテた親友Y子のお気に入りは、なんと名古屋の味噌煮込みうどんである。わが道を行くY子らしいが、必ず頼むという「ホルモン入り味噌煮込みうどん」は、可愛い顔の下に隠れたY子のおっさん性を見事に暴いていた。

 

 

 

頑固で気難しい祖父の行きつけ「松家(まつか)」。どうせ堅くて太いうどんが出てくるのだろうと思っていたら、そのうどんは、エッジの切立ったしなやかな麺と、品のある昆布出汁のうまみが、絶妙なバランスで互いを引き立て合う繊細な一杯であった。

 

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◆◆◆◆⑤【うつくしいもの】

↑↑ 1分30秒で声で伝えて戴いたCD作品より。

 

『うつくしいもの』~130秒の課題より

 

 

 

わたしのヴァイオリンの先生は、花咲か爺さんと呼ばれるほど花が好きで、庭に色とりどりのバラを咲かせていました。

 

 

 

ある5月のこと。「せっかく咲いてるからね」と言いながら、先生がグランドピアノの上にバラを飾りました。それを見たわたしは思わず目を見張りました。見たこともない程の大きな花が、嬉しさと自信に満ちて、きらきらとはじけるように咲いていたのです。

 

 

 

どれだけの愛情をかければこんなに幸せそうに咲くのだろう。レッスンが始まってわたしが先生を独占したら、生まれて初めてのライバルに棘を向けてくるかもしれない。花という枠からはみ出してしまいそうなバラを前に、そんな思いが湧いてきました。

 

 

 

「わたしは美しいものを愛する」「わたしは音楽家だから傷付きやすいのです」と、誰の前でも躊躇なくおっしゃっていた先生。そんな先生が育てたバラは、いまにもしゃべり出しそうなほどの生命力に輝いていました。

 

 『薫香』

作・ギンガ先生

サロンにて。

 

 わたしには一つ上の姉がいます。姉はもともと不器用でわがままで気難しい人だったのですが、中学生の頃に父が亡くなると、タガが外れたように滅茶苦茶をするようになり、高校になると、男をつくって退学し、駆け落ち同然で同棲を始めました。

 

ある日、男の家から久しぶりに着替えを取りに帰ってきた姉に、

 

「わたし、宗教に入ったから」と突然告げられました。

 

「なんでなん?」わたしは姉を責めました。

 

姉は無表情で「あんたには分からんわ」と言い捨てました。

 

「分かる訳ないやん。学校やめて、駆け落ちして、宗教入って、何やっとん?」

 

 重苦しい沈黙の末、すこし冷静さを取り戻したわたしは切り出しました。

 

「危ない宗教多いけど、そんなんじゃないよね?」

 

「そんなんじゃない」

 

「じゃあ、わたし見に行くわ」

 

「え?あんたもやるん?」

 

「やるわけないやん。見に行くだけ。絶対入りませんけど、姉がやっていることがどんなことか知りたいんで、お話聞かせてもらっていいですか?って担当者に言っといて」

 

「あんた、めちゃ勧誘されるで」

 

「断る自信ある」

 

「分かった」

 

数日後には、わたしは姉の世話をしてくれているというおばさんの車に姉と一緒に乗っていました。道中、そのおばさんが嬉しそうにこの宗教がもたらした奇跡体験について話すのを、ドン引きで聞いていたのを覚えています。30分くらいするとその宗教団体が所有する建物が見えてきました。なんだかモスクのような形をした立派な建物だったように記憶しています。

 

 

 

中に入ると目立つところに看板が立っており、さっき車の中でおばさんから聞いたような奇跡体験が書かれていました。一番最後に書かれていた「祈りの最中に薫香を嗅いだという人もいます」の一文が目に留まりました。

 

(薫香って。いい匂いがしましたってこと?これが一番胡散くさいわ。だって匂いなんて一番とりとめがなくて証明できないもんやし。ちょっと庭の金木犀やモクレンの花が香っただけで、薫香やー、って騒いでるだけやわ)

 

 

 

中に入ると年配のおばさんが「よくいらしたわね」と迎えてくれました。

 

その人は「先生」と呼ばれていました。

 

玄関わきの和室に招かれ、姉や世話人のおばさんと一緒に中に入ると、先生はその宗教がどんなものなのかを丁寧に話し始めました。

 

その人の雰囲気や話の内容からしても危険きわまりない宗教ではないように思えました。

 

 

 

しばらくすると、お香のようないい匂いが漂ってきました。

 

「ん?これまさか薫香じゃないよね?」

 

わたしは鼻をくんくんさせながら部屋の構造を確認しました。わたしを信じさせるために、隣の部屋でお香を焚いているのかも知れません。

 

「欄間はないな。でも襖の間から匂いが流れ込んできているのかも」

 

 でも襖はきっちりと閉まっているように見えましたし、匂いはますます濃くなっていきます。

 

気が済むまで匂いを嗅ぎ、「とにかく濃く甘い香りがしていることは間違いない」そう確信しました。

 

その瞬間、香りが消えました。今度はどんなに鼻をクンクンさせても一切匂いがしないのです。完全な無臭です。ふつう、お香のように染みつく香りは、数時間は消えないものです。窓も開けず、薬剤も撒かず、強い香りが一瞬で消えるなんてことはどう考えてもあり得ません。匂いが消えて初めて、あれは間違いなく薫香だった、と確信しました。

 

わたしはもう、先生の話など上の空になるほど感心していました。神さまのやることってすごいな!なんて見事で鮮やかなんだろう。匂いをさせることではなく、消すことでわたしに薫香だということを示した。少なくとも建物に入ったときからわたしの心を手に取るように分かっていたのだろう。疑っていたことも、香りを確信した瞬間も。

 

 

わたしはこのことを誰にも話しませんでした。姉が勢いづいても困ります。ただひとつだけわたしに言えることがあるとすれば、それは、薫香というものは爽やかな香りでも複雑な香りでもなく、まるでChannel No.5のように深く甘い香りだったということだけです。

 

    END

 

いままでのラインアップです。

順番に

 

①【石の変態】サロンにて。

 

②【かがわ】←サロンにて。

 

③【編み物好きの度を越した情熱】←サロンにて。

 

④【うどん占い】←これは昔花田が講師を勤めさせていただいた学校での、任意の提出作品。1分30秒をリミットとして自由にオリジナルの文章を録音して来てください、という呼び掛けに答えてくださった時のものです。

 

⑤【うつくしいもの】←上記と同じ1分30秒に籠めて下さった作品です。

 

⑥【愛するひとたち】←サロンにて。

 

⑦【お気に入りの奴隷】←サロンにて。

 

⑧【薫香】←サロンにて。(

 

~どのお話も、極めて丁寧に描かれており、ほんとうに潔く濃やかで鮮やか、温かい語り口です。登場人物を演じられる時の これまた濃い野太い演技をお伝え出来ないのが誠に残念ではありますが、是非ご堪能下さい。m(__)m

 

 

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◆◆◆◆ ①【石の変態】

 

 

 

 わたしは長い間、変態ってサイテー!と思っていました。そんなわたしが自ら変態を名乗るようになるとは以前は夢にも思っていませんでした。まず、変態に対する見方を変えてくれたのは花田先生です。「変態とは、誰にでもなれるものではない、その道に関しては、人が引くようでなければいけない、その基準をクリアできたものだけが変態の称号を得ることが出来る」それが先生の教えです。花田先生は、言葉の、語りの変態です。半年間先生のナレーションの授業を受けてそう感じました。だから生徒にも合う合わないがあったと思います。なにぶん変態ですから、万人には受け入れ難いことが大前提です。

 

 少し、毛色が違いますが、そこですました顔してギターを弾いている下梶谷さんもギターの変態です。語りの変態に魅入られたギターの変態。羨ましい限りです。

 

 

 

 さて、わたしが自分を変態だと思うところがあるとすれば、それは石についてです。もし、「かわいいよー」と言いながら石をなでなでしているおばちゃんを見たら、皆さんどう思われますか? 「一緒にお散歩いく?」とか「今日は満月だよー、月光浴をしましょうねー」とか「いつもありがとねー」などと小さな石に笑顔で話しかけている中年女性がいたら、一瞬目を背けてしまうのではないでしょうか。

 

 わたしは石に関してはもう、変態の域にたどり着いているような気がします。

 

 

 

そういうわたしも、昔は石にはまったく興味がありませんでした。それでも、ラピスラズリやローズクォーツなどが幸運や恋愛のお守りみたいになっていることは何となく知っていました。でも、パワーストーンごときで恋愛運を上げようとしている女子を見掛けると、「こんな石ころでなんとかしようと思うな、このブス!」と思っていました。石は石。人生は人生。それを混同している人を見ると、つよーい不快感をもよおしていたのです。

 

 

 

そんなわたしが、なぜ変態の域まで達したのか、それはアルバイト先の女性がきっかけでした。彼女はわたしより10歳年下。フランス人の旦那がいながらも男遊びとパワーストーンに夢中で、仕事中ずっと、男にモテた話か、自分の作った新作のブレスレットやイヤリングの自慢をしていました。わたしも最初はどちらの話も「ふーん、いいね」などと適当に返事をしていたのですが、そのうち自分も「オリジナルのブレスレットでもつくってみようかなー」と思うようになり、ある日彼女が勧めてくれた石屋さんに行ってみました。

 

そのお店には、たくさんの天然石のビーズが入った小さなケースがずらりと並んでいました。どの石がいいのかよく分からないまま「きれいだなー」と思った石をトレーに乗せてレジに持って行き、ブレスレットにしてもらいました。いざ、お金を払おうとすると、レジにいたお兄さんが突然そのブレスレットを大きなお鈴の中に入れて「ゴーン」と鳴らしました。

 

「なっ、何ですか?」

 

「浄化です」

 

「はっ、はあ?」

 

 

 

その時はよく分からなかったので、気持ち悪いことされたなー、と思いながらブレスレットを受け取って帰ったのですが、通常パワーストーンは触った人の念が入るとされているので、気遣いのあるお店では、お客さんに渡す前に、音やホワイトセージのお香などで浄化してからお客さんに渡すというのは、ごく一般的なことなのでした。

 

 

 

占いが好きだったわたしは、家に帰って面白半分で、自分の選んだ石のパワーストーンとしての効能をインターネットで調べてみました。「金運、健康運の向上」とか「開運」みたいな短い言葉が出て来るだけだと思っていたら、なんと一つの石に、何行もの解説というか、ストーリーがあって、そのすべてが今の自分が足りないと思っていることだったり、手に入れたいと思っているものだったので、わたしはすっかり驚いてしまいました。

 

しかも、その効能自体がとってつけたようなものではなく、自然の叡智と共に綴られているような内容だったのです。

 

 

 

ここで、これまでわたしが調べた数々の効能の中で、興味深かったものをひとつ紹介させてください。モスコバイトという石についての説明を要約したものです。

 

 

 

モスコバイトは「スピリチュアルな絶縁体」として機能してくれます。たとえば、人ごみの中に入ると、どっと疲れたり、気分が悪くなる人などは、他者の放つエネルギーを短時間に、多量に浴びて、自分のオーラが汚れたり、場合によっては破れたりするからです。また、放出するエネルギーの少ない人は、自分より強いエネルギーの人に対して、従う側にまわり、コントロールされ易くなります。強いエネルギーに抵抗することは、さらに大きなエネルギーを呼ぶことになるため、抵抗は解決になりにくいものです。そんなとき、モスコバイトは「エネルギーの絶縁体」として働いてくれます。特に他者から放たれる邪悪な感情、言葉のエネルギー(言霊)、念波、霊的な攻撃を遮断し、強いシールドで保護してくれます。とありました。

 

 

 

「なるほど」

 

 

 

 この説明を読んでとっさに、この石で作ったブレスレットを母に送ろうと思いました。母は、いつも人ごみの中に入るとどっと疲れていましたし、その他にも、最初は仲の良かった友達も、最後には必ずと言っていい程、母の上に立ち、失礼な態度や言葉で命令するようになっていました。ほぼここに書いてあることすべてが母に当てはまっていました。ブレスレットには「お母さんのオーラを守りながら、少しずつ、人にコントロールされない方法を教えてあげてね」とお願いしてから母に渡しました。

 

 

 

それから2カ月くらいしたころでしょうか。母から一本の電話がありました。

 

「ちょっと、あんたにブレスレットをもらってから、なんかええことばっかりあるんよ」

 

「えー!何があったん?」

 

「周りの人がお母さんにありがとう、ありがとうって、みーんなが言うてくれて。こんなこと今まで絶対になかったから。びっくりしとんよ。」と嬉しそうでした。今まで人のために何かしてあげてもあまりお礼を言われなかった母。そんな母が、たくさんの人から感謝され、これまでより大切にされている。もしかしたら意外にも母は石からの波動を受けやすい人なのかもしれません。今までも、石の写メを送ると「パワーの強そうな石やね」とか「生きてるみたいやね」などと返信が来ていたので、写メを見ただけでそんなことを感じるのかー、と思っていたところでした。

 

 

 

その他、面白いものでは、花粉症に効果があるというものや、先祖との繋がりをサポートするもの、宇宙からのインスピレーションを受けやすくなるもの、前世のカルマや自分の中の有害なプログラミングを解消してくれるもの、本当の気持ちを言葉にできるようサポートしてくれるもの、などなど。

 

 

 

パワーストーンの効能の深さにのめり込んでいったわたしは、事あるごとに天然石ビーズを買って来ては、数々のブレスレットを作りました。自分が惹かれた石を買い、帰ってその石の効能を調べ、今の自分の状態を知ったり、効能の所以を紐解き、人生の深淵を垣間見る、みたいな作業だったと思います。

 

 

 

 そんな中、実家のある香川県で中学高校時代を共に過ごした変態友達のゆうこりんが「そんなに石好きなんやったら、香川に帰った時にぜひトミーさんとこ行ってみて」と原石カフェなるものを紹介してくれました。ゆうこりんはかなり分野の広い変態で、何に関しても「よくこんな人と出会ったな」とか「よくそこまでやったな」と思うようなことばかりやっています。そんなゆうこりんが紹介してくれた石屋。ぞくぞくして来ました。

 

 

 

さっそく今年の夏休みに香川に帰省したついでに、嫌がる主人を拝み倒して車を出してもらい、実家のある高松から少し離れた三豊市にある原石カフェを訪れました。主人はパワーストーンとかそういう胡散くさいものが大っ嫌いで、ちょっと前のわたしのように、そんなんでモテるか、ブス!の類の人間です。しかもパワーストーンなんぞを男がやっているなんてもってのほかです。「トミーさんって、石を売るだけでなく、自分で世界中の山に行って原石を掘って来るんだって、すごくない?」と主人にゆうこりん情報を伝えると「きもっちゃるいのー!お前は掘るな、言うとけ!」とまだ見ぬトミーを毛嫌いしています。行きの車の中で、「どんなにトミーさんと合わないと思っても喧嘩だけはしないでね」というと、主人は凍りついた表情で「心掛ける」と言ったまま、黙り込んでしまいました。

 

 

 

実際に会ったトミーさんはとても気さくで面白く、照れ屋な人でした。店にディスプレイしているブレスレットや原石の間に、ウルトラマンに出て来る怪獣のフィギュアを飾っていました。それが良かったのでしょうか。がっつりウルトラマン世代の主人は「おっ、カネゴンじゃん!」とか、「おー、懐かしいな、マニアックなの置いてんなー」などと美しい原石たちをすべてスルーして、怪獣を見ています。彼は次男坊のため、幼いころお兄ちゃんとウルトラマンごっこをすると、かならず怪獣をやらされました。一年に一度、誕生日の日にだけウルトラマンをやらせてもらえましたが、気がつくといつものように「ガオー!ガオー!」と言って、怪獣をやっているのでした。そうです。彼はもうウルトラマンができない体にされてしまっていたのです。

 

そんな主人はもうすっかり笑顔でした。怪獣を好きな人に悪い人はいない、的な単純な理論でトミーさんを気に入ったのでしょう。結局二人ともそこで、トミーさんにチベットで習ってきたという占いをしてもらいました。名前と生年月日から、その人を表す5つの石を導き出すという占いで、わたしは導き出された石が5個ともオス♂の石だったらしく、「ここまで来ると、女の皮をかぶった男ですね」と言われました。おばさんの皮をかぶったおっさんか…。もう、どっちでもいいです。主人の名前と生年月日から導き出された石は赤、青、様々な石だったのですが、よく見てみると、5個のうち、4個は彼からわたしにプレゼントしてくれたことのある石でした。主人はこれまで自分を表す石をわたしにプレゼントしてくれていたんだと思うと、不思議にも思いましたし、絆も感じました。おっと、いい話になってしまいました。ここまではほぼ余談です。

 

 

 

東京に帰ってからしばらくすると、家ではあまり仕事の話をしない主人が、めずらしく愚痴をこぼしていました。社員募集をしようと思って求人サイトに高い掲載料を払ったのだけど、ろくな奴が来ないし、来てもすぐ辞める、と言うのです。そのときふと「仕事をサクサク進めたい時は、最強の魔よけであるモリオンがいいですよ」と、トミーさんが言っていたのを思い出しました。

 

「こんな時こそモリオンだ!」わたしはそう思い立ち、さっそくチベット産モリオンの原石をネットで探して主人にプレゼントしました。そのとき、わたしもはじめて本物のモリオンの原石を見たのですが、とっても美しかったです。とにかく真っ黒でツヤツヤ。真っ黒なのです。強い光を照射しても光を通さない黒い水晶だけがモリオンと呼べるのだそうです。初めてモリオンを見たわたしは、その美しさと、なんかわかんない可愛さにキュンキュンしました。

 

わたし、モリオンが一番好きかも。そう思った私は、子供部屋に置くためのものと、自分が持つためのものを一つずつ買いました。「なんか、すごい可愛い」これが、石をなでながら「かわいいよー」のおばさんの誕生です。

 

その後、もっといいモリオンはないかと探し回っていたわたしは、究極のモリオンに出会うことになります。

 

 

 

ある日わたしは国産のモリオンを見つけたのです!「えっ?日本でもモリオンが採れるの?」そう思ったわたしはもう見たくて見たくて仕方ありません。しかも、レコードキーパーだと言うのです。レコードキーパーとは原石のポイントになっている面に三角の刻印が刻まれているもののことを言い、成長の過程を記録しているので、レコードキーパーと名付けられています。それは古代アトランティスの叡智を伝えるものであるとも言われています。ロマンがありますねー。そこまで言われて石の変態が買わないわけ、ないじゃないですか。チベット産のモリオンの2倍の値がついていましたが、自分が仕事で稼いだ分をつぎ込みさっさと購入しました。

 

届いた国産モリオンを見て、とにかくびっくりしました。チベット産のものより倍の金額を払いましたが、その何倍もの価値がある、と感じました。全然違うのです。なんて綺麗な、なんてすばらしいモリオン。キレッキレなのです。レコードキーパーは周りの石たちの指導者的な存在になると言われますが、見るからにほかのモリオンとは一線を画しています。賢者のような風情が漂っているのです。シャッキーンとそそり立ったエッジ。驚くほどのきめの細かい肌。つやっつやの表面にびっしり刻み込まれた三角の成長痕。国産だからなのか、レコードキーパーだからなのかは分かりませんが、ここまで違うとは想像もしていませんでした。魔よけのパワーもすごそうです。とても心強い味方ができました。この原稿を書くにあたって、国内のどこで産出されたのかが気になって、送られてきたときの明細を引っ張り出して見てみると、なんと、そこは岐阜県の中津川市でした。言わずと知れた花田先生と下梶谷さんの出身地です。2人の変態を輩出した、モリオンの産地? 岐阜県の中津川市って一体何なの? すごいわりに意味不明のこの偶然をどう処理してよいのか分からず、しばらく途方に暮れました。

 

 

 

こんなことを繰り返しているうちに、石の気持ちが分かるようになってきました。ペットの気持ちが分かるようになるのと同じです。心が通じてくるのです。ずっと一緒にいたいので、小さな巾着に入れて常にどの子かを持ち歩いています。カフェに着いたらそれぞれを巾着から出してテーブルの上に置き、コーヒーを飲んだり本を読んだりします。それが「お散歩行く~?」のおばさんの誕生です。

 

 

 

パワーストーンは力を使ったり、悪いものを吸い取ると、パワーチャージが必要になります。水晶のさざれ石の上に置いておくといいというのでそうしていますが、その他にも月光浴がとってもいいと言われています。石たちが月の光を浴びながら「あー生き返るー」とか「きもちいー」とか言っているところを想像するとかわいくてたまりません。これが「今日は満月ですよー。月光浴しましょうね」のおばさんの誕生です。

 

 

 

わたしは石を集めるようになってから、不思議な助けを得られるようになりました。人や人生について不思議だな、なんでそうなるんだろう、と思っていることがあると、翌日にはぴったりそれに対する答えのような文章を雑誌やネット記事の中に見つけて深い納得を得ることが出来ます。その他、たわいもない一言が図らずも嫌いな人間を遠ざける牽制球の働きをしてくれたり、ずっと困っていたことの解決方法が、突然自分の中で閃いたり、自分を楽しませるアイデアが次々と浮かんできたり。石が生活の中に入って来てから、これまで自分ではどうすることもできなかったことに対して、偶然良い方に向かうきっかけを与えてもらっているような感があります。

 

実際たくさんの石があるので、どの子のおかげかハッキリとは分からないのですが、石を持ち始めてわりと早い段階から、出て行くお金が減ったな、とも感じています。

 

 

 

はっきりと「この子のおかげだ!」と分かるときもあります。深いオレンジ色が印象的なスぺサルタイトガーネットの原石、スっちゃんです。この子は珍しく、わたし側から気に入る前にわたしのことを気に入り、わたしを呼びよせた感じがするのです。この子はわたしのことをとても慕ってくれているので小さな願いをよくかなえてくれます。不思議に感じるかもしれませんが、なぜか自分についてくる犬、とか、理由は分からないけどなついてくる子供とかと一緒です。かわいいものです。

 

 

 

この子に「今日はいいお買い物をさせてねっ💛」と頼んでから出掛けると、その日は死ぬほどお買い得な商品にありつけます。よく行く店に、イタリア製のしっかりとしたステンレスの大鍋がありました。育ち盛りの男の子がいるうちでは、豚汁やカレーをたっくさん作るのに良さそうだなーと思って見ていたのですが、ずっと高すぎて手が出ないでいました。ときどき、店に入ってみるものの、人気商品なのか、セールなどまったくしていなくて、買えないなー、と思いながら店を出るのがいつもでした。ところが、スっちゃんにお願いすると、なんと、その日、その鍋を70%オフで買うことができました。20パーオフくらいでは手が出ないわたしのお財布事情をよーく知っているスっちゃんは、なんと70%も値引きしてくれたのです。助かるー!

 

それ以外にも息子のジーパン。もうすっかり小さくなっていて、新しいのを買わなくてはならなかったのですが、カッコ悪いのは履かせたくないけど、カッコいいのはセール中でも一本5900円もして「はぁ、高いな」と思っていたわたしの目の前に2900円のスリムジーンズが目に入りました。息子に試着させてみると、わたしに似ず足が細くて長い息子にはとてもよく似合っています。しかもセール品2品買うとさらに20%引きになるというので、息子が気に入ったセールのTシャツと合わせて、定価9900円のジーンズが税込みで2500円程度で買えました。

 

スっちゃんの力は絶大で、いつもえげつない程の割引を提供してくれます。そのうち、頼まなくても信じられないほどのお買い得品に巡り合うようになってきました。スっちゃんがあまりに頑張り過ぎて、わたしが日本の経済の根本を揺るがす危険性さえ、うっすら感じはじめています。でもきっと、スっちゃんは買い物運アップの石、というわけではなく、わたしとの関係性の中で一生懸命願いをかなえてくれているだけなのだと思います。ここで「いつもありがとねー」のおばさんが誕生します。

 

 

 

 石に出会うまでのわたしは、人生の大切なことは悲しみや困難、裏切りから学んできたような気がします。それも確かに、世の中を知る上では必要なことでした。でも、石たちに出会ってからは、深い納得をともなう気づきや、愛や、楽しさの中に、大切なことを見出すようになりました。

 

石の効能を活用するために大切なのは、その石から何を感じ取るかです。その生の感覚が石と接していて一番楽しいところです。石は間違いなく生きていて繊細で、そばにいる人間を深く理解しようとしています。こんな、人生を豊かにしてくれる石たちと共に、これからも、その道に関しては人が引くほどの熱意を持って、石の変態道を邁進していきたいと思う今日この頃です。

 

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◆◆◆◆ ②【かがわ】

 

 

 

今年で上京して22年になる。数年前に生まれ故郷の香川で暮らした年数を越えた。わたしは上京するまでは自分の故郷が嫌いだった。田舎独特の閉鎖的な空気と、ほぼ顔見知りだけで成り立つ生活空間の中で常に世間体を気にしながら生きることに疲れ果てていたのだ。

 

とは言え田舎の人間にとって、東京のイメージは「とても怖いところ」である。根拠は特にない。高校卒業後、東京に出ることを元担任に報告しにいくと、

 

「お前、渋谷とか歩いてて声かけられて水着とかなんなよー」といやらしい顔で言われた。わたしは心の中で舌打ちした。「だから嫌なんだよ…」その頃のわたしは今の子のようにスタイルが良いわけでもなく、垢抜けていたわけでもなかったが、とにかくみんな、東京行ったら渋谷行く、渋谷行ったら声かけられる、声かけられたら「はい水着」なのだ。わたしはたった一瞬でも、冴えない独身男の慰みものにされたかと思うと体中に虫唾が走った。

 

 

 

東京に行く直前になると、親しい友人がわたしのために集まってくれた。私以外は全員、大学進学が決まっていて、みんな夢に胸を膨らませていた。東京に出るんすごいなー、とか、どこに住むん?とか興味津々の女子たちからの質問に答えているさなか、その中の一人が、

 

 

 

「東京に行っても変わらんといてね…」と言いだした。

 

するとほかの友達も、ずっと飲み込んでいた言葉を絞り出すように、

 

「ほんまよー、変わったら嫌やけんね…」

 

わたしは心の中で「みんな、東京ってどんなところやと思ってんの…」と、少々引いてしまっていたが、結局全員その場の空気に飲み込まれ、みんなで泣いた。卒業を目前にした高校三年生の頃の澄み切ったメモリーである。

 

 

 

出身が香川県高松市のわたしは、自分の出身地を東京の人にどう伝えるのが一番わかりやすいのかがいまだによくわからない。ざっくりと四国と言った方が分かりやすいのか。それとも香川県でいいのか。高松と言って分かってくれるほど高松は東京で知られているのか。よくわからない。なので香川県の高松です、と答えることにしている。すると、相手は「ああ、四国の?うどんが美味しいとこだよね」などと言ってくれるのだが、おかしなことにほとんどの人が次に会ったときには「高知出身なんだよね」と言う。連続して何度も起こるこの不可解な現象を、上京してしばらくした頃、わたしはついに解明した。彼らの頭の中はおそらくこうだ。香川県の高松というと、彼らの頭の中には高松市の高という漢字と、四国のイメージが残り、数日後には記憶が四国の高知県に書き換えられているのだ。

 

それもこれもすべて、坂本龍馬のせいである。四国で唯一全国的に有名な坂本龍馬が四国のイメージを独占しているのだ。このことは東京に出て初めて気づいた現実である。今後香川から高知の坂本龍馬を越える著名人が排出されない限り、この不幸は繰り返される。それにも関わらず、香川出身の著名人と言えば、今のところ要潤がいいところだ。その頼みの綱の要潤とて、ここのところ料理上手のイケメン速水もこみちに押されているではないか。当分この事態が改善される見込みはない。

 

 

 

東京に出て驚いたのは、意外とうどん好きな人が多いことである。東京にはすでに蕎麦という文化が根付いているから、うどんの入り込む余地などないだろうと思っていたが、実家から送られてくる段ボールいっぱいの生うどんを食べきれなくて、職場や友達のところに持って行ったりすると、

 

「えー、讃岐うどん? わー、ありがとー! うれしー!」と大喜びされた。

 

その後、はなまるうどんや丸亀製麺など、東京に進出してきているのを見ると、やはりうどん好きな人は多いのだと思う。

 

 

 

いつだったか、高速道路の料金が休日を中心にものすごく値下げされたときがあった。そのとき意外にも、本州から車やバイクで香川県にたくさんの人が讃岐うどんを食べに来てくれた。それを見て、香川の人間はたいそう驚いたものだ。これまで瀬戸大橋の高速料金が高くて来れなかっただけで、料金が下がると、こんなにもたくさんの人が香川県に遊びに来てくれる。わたしたち自慢のうどんを食べて、満足して帰ってくれる。なんと嬉しくありがたいことだろう。わたしが人一倍そう思うには、過去のトラウマが関係していた。

 

 

 

瀬戸大橋が完成した頃の話である。これまでほとんど脚光を浴びることのなかった香川の住民は、世界に誇る立派な橋の完成に狂喜乱舞した。当時、瀬戸大橋は世界最長の吊り橋と言われており、わたしたちの誇りだった。四国を本州と結ぶ橋から見渡す夕暮れの瀬戸内の島々は格別だった。

 

それから数年の月日が流れ、まだまだ瀬戸大橋熱も冷めやらぬ中で、タウン情報誌「かがわ」にこんな記事が投稿されていた。

 

「おい、みんな。ちょっと考えてみてくれ。瀬戸大橋が出来て喜んどんのは四国側の人間だけとちゃうか? 俺ら香川の人間は本州と橋で繋いでもらったと思うとるけど、逆に本土の人間は繋いでやったと思うとるんちゃうか? 俺らは橋が出来てみーんなが喜んどるように思うとるけど、ほんまは四国側の人間しか喜んどらんのじゃ!」

 

わたしは、この鋭い指摘に顔面蒼白になった。そう言われてみると、本土の人間が喜んでいるというニュースは聞いたことがなかった。

 

 

 

そして今、あのときの、殺伐とした思いがようやく報われたのだ。高速代の値下げと共に、たくさんの人が香川にうどんを食べに来てくれた。わたしは東京の街中で「今度の週末、香川にうどんを食べに行きたいんだよね」と話す若者を何度か見かけたこともある。みんな、香川のことをそんな風に思っていてくれたんだね。卑屈だったわたしたち香川県民をどうか許して!

 

 

 

うどんについてもう少し話すと、香川にはうどんをこよなく愛する人と、惰性でうどんを食べている人の両方がいる。それでもうどんをこよなく愛している人の方が少し多いのではないかと思う。惰性で食べてる人たちにしても、いきつけの店は必ず持っている。讃岐に生まれてきた以上、麺の強さや出汁の種類などが好みのうどん屋は必ず持っているのだ。

 

 

 

東京のサラリーマンの楽しみが帰宅前の一杯のビールだとすれば、讃岐の男の楽しみは、早朝の一人うどんである。これをやっている男性は意外と多い。どんな感じか、これからちょっとやってみようと思う。季節外れではあるが、ぜひ夏バージョンでお楽しみいただきたい。

 

 

 

夏の早朝5時。まだ熟睡している家族を起こさないよう、一人で起き出す。普段は嫌味と文句ばかりの嫁が子どものような顔で寝ているのを見て、一瞬苦笑する。この時間が一日の内で唯一、俺がひとりになれる時間だ。車の鍵と財布だけを持ち、寝ていたままの短パンとTシャツにサンダルを引っかけて裏口から外に出た。まだひんやりとした空気が心地よい。一日千本の木にとまって鳴かなくてはならない蝉は、もうすでに鳴き始めている。

 

キーを回すと

 

「キュルキュルキュル、ブルルーン」

 

エンジンが鳴る。

 

これから、あの店にうどんを食いに行く。

 

あの店が、混まない時間。

 

この時間にしか味わえない、一番窯で茹でたぶっかけ。

 

半透明に輝く麺のことを考えると、思わず喉が鳴った。

 

 

 

店について暖簾をくぐると、愛想の良いおばちゃんの笑顔が迎えてくれた。

 

「今日も早いのー」

 

「おばちゃんこそ」

 

そんなちょっとした会話が心を癒す。

 

 

 

とん、と置かれたどんぶりには期待通りのつややかな麺。

 

カットされたレモンを軽く絞り、出汁醤油を一回り半かける。

 

冷たいのど越しと、適度な弾力。

 

俺の望むすべてがここにある。

 

 

 

一気にうどんを食べ終えると、会計を済ませて外に出た。

 

 

 

さっきより高くなった真夏の太陽がまぶしくて、思わず目を閉じた。

 

一瞬、なんだか秘密の情事の後のような、照れくささと罪悪感にさいなまれた。

 

また、明日も来てしまいそうだ。

 

 

 

 

 

早朝一人うどんを楽しむ男心を描写してみた。こんな感じではないかと思う。

 

 

 

もうひとつ、香川の特色として思うのは、笑いがマニアックであるということ。香川でも大阪と同じく、人間関係にはボケとツッコミがある。わたしは、母に対してはツッコミ、姉に対してはボケを担当している。そう、相手によって、担当が変わるものなのだ。相手が自分よりもボケの要素が強い場合は、自然に自分の方がツッコんでいる、そんな感じだ。もちろんあまりにボケやツッコミの要素が強い人間は、生涯一方のみを担当し続ける場合もある。

 

 

 

ただ、大阪の笑いと香川の笑いはかなり違っている。大阪の人には、万人を笑かしたるぞー、という意気込みがあるが、香川の人間にそんな意気込みはない。ただ、深―い地元ネタを地元だけで楽しむ。テレビなどでお笑いをするのが大阪のおもろいあんちゃんだとすれば、職場で呼吸困難になるまで笑かしてくれるのが香川のおもろいあんちゃんだ。

 

 

 

東京出身の人と結婚したわたしは、当初、主人にどんなにボケてもツッコんでもらえない生活を送っていた。ボケとツッコミの観念を持たない彼は、ボケと現実の境界線を見分けることが出来ずに、必死にボケる嫁に対し「どうしたの?」とか「大丈夫?」と優しくその身を案じ続けた。一方わたしは、一向にツッコんでもらえないことに疲れ果て、実家の姉に電話で相談したことがあった。

 

「ダンナがさっ、どんなにボケてもツッコんでくれなくてさっ……」

 

離婚歴のある姉は一言、「ノロケか!」と言って電話を叩き切った。まだまだ、自分は幸せだったんだな、と姉に教えてもらった一件である。

 

 

 

最後になるが、東京に出てきて22年間、田舎者のわたしを一度もバカにしないで受け入れてくれた東京の方々に、心から感謝したい。田舎があると言うと心から興味を持ち、羨ましがってくれた本物の都会の方々に、心からの感謝と敬意を捧げてこの話を終わりたい。

 

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◆◆◆◆ ③【編み物好きの度を超した情熱】

 

 

 

いま、編み物と聞いて、「えっ?まさか今どき手編みの話を聞かされるの?」と思った方、すみません。当たりです。「編み物なんか、おとなしい女がやっていればいいんだ!」とお思いになったお父さん、本当におとなしい方は編み物などしません。一目一目編んでいって、何かを作り上げる人間、それは執念深くて気が強く、ちょっとやそっとのことではへこたれない負けず嫌いの男みたいな女が多いのです。

 

 

 

手編みは物語を紡ぎ出すのととてもよく似た作業だと思います。手に取った毛糸玉に思いを馳せ、ああでもない、こうでもない、と編み物好きの心は、一つの作品に対してどこまでもどこまでも広がっていくのです。そう、まるで一つの物語のように。

 

 

 

まず、編み物好きの情熱は常軌を逸している場合がほとんどです。何か編まずにいられない。編んで終わったらソワソワしてきて、気がついたら毛糸を探しに行っている。そんな人がほとんどです。わたしも「あっ、編むものがない!」と思い立つや否や、手芸店や、小さな毛糸専門店を一軒一軒まわり、掘出物はないかと小さな店内を1時間以上うろつきます。

 

 

 

目についた毛糸ひとつひとつに思いを馳せて「これで蝶々の編み込みをしたら素敵じゃない?」とか、「ワインカラーの透かし編みって見たことないかもー(>◡<)」とか。気がついたら一人で「きゃははっ💛」って声を出して笑いかねないほどの楽しさです。

 

 

 

 わたしが好きなのは、ペルー産のアルパカの毛糸。 

 

この毛糸はカシミアに似たぬめりがあり編み心地も抜群なのですが、何と言っても色が素晴らしい。わたしはずっとオフホワイトの糸を探していたのですが「これは黄色味が強すぎる、これは白すぎる、これは灰色っぽい…」となかなか自分のイメージするオフホワイトに出会えませんでした。でもこのメーカーのオフホワイトはまさに私のイメージする色でした。絶妙とはこのことなり。白に他の色を足すのではなく、白からこれみよがしな純白さを取り払うことで生まれるシンプルな美しい白、それがペルー人とわたしの言うオフホワイトなのです。

 

 

 

 あと、それと同じメーカーの水色。これも「なんだこの水色は!」と衝撃を覚えた水色でした。水色がMilkyなのです。なぜ今までわたしたちはなんとかの一つ覚えのように水色に爽やかさしか求めて来なかったのでしょう。こんな温かい、こんなやわらかい、こんな澄んだ水色があったなんて!そこでハタと思い当たりました(ここから先はすべて想像で喋ります)。この水色は、あのオフホワイトを混ぜて作られているのです。だから、誰も作れなかったのです。あのオフホワイトを作れないものに、この水色は作れないのです(ドヤ顔)。

 

 

 

わたしはペルー人の色の感覚ってすごいと思っています。確かにフランスやイタリアの糸ほどシャレてはいないかも知れません。

 

でも、ペルー人の染める糸の色には、自然を愛する人たちが本当にきれいだと思う、搾りたてのミルクの色や霞のかかった春の空の色とか、そういったものを妥協なく再現しようとしているような、自然をあがめる人々の持つ美意識を感じます。

 

 

 

実はこのメーカーの毛糸、日本ではもう取り扱っている店がなくなってしまって、二色とも二度とお目に掛れない幻の毛糸となってしまいました。今家にあるこの色の糸はわたしの宝物です。

 

 

 

 もう一つは、街で偶然見かけたウールとシルクが50%ずつ入ったイタリア産のピンクの毛糸。これは、もう見たことのないピンクです。夕空のグラデーションの中でしか捕まえられない色、もしくはバラの花が開き切った刹那、最後に見せる一番美しい色を、糸として染め上げているのです。  

 

しかも普通シルク混の毛糸というとシルクの割合は1020%くらいなのに、ウールとシルクを半々で混ぜるなんて。やるじゃん、イタリア人!こんな毛糸はお金を出せばいつでも買えるという訳ではありません。事実、私はこの毛糸をセールの棚で見つけました。残っていた9玉をすべて、ほくそ笑みながらカゴに入れたのを覚えています。これで今、母にベストを編んでいます。模様は今まで編んだ中で一番複雑で美しいものにしました。それが、この素晴らしい毛糸を作った方々に捧げる敬意であり、礼儀だと思っています。

 

 

 

 わたしの通う編み物教室では、60代~80代までの人が大半で、そこに行った時だけ「若いわねー」と言ってもらえます。まあ、それはいいとして、女性の、着るものに対する執念はすごいな、と感心させられます。みなさん、いつも複雑な模様に挑戦して、一着編んだらまたすぐに編み始め、もう10年以上それを続けている人もたくさんいて、編み飽きる、とか、編みつくすってことはないようです。何着編んでもまだ、自分のセーターを編む。たまーに、お孫さんや、娘さんや、旦那様に編むことはあっても、その時はテンションが低く、十中八九はご自分のものを編む。素敵なものを自分で着たいという女の執念には目を見張るものがあります。

 

 

 

 男の方でもたまに編み物にハマる方がいますよね。ときどき雑誌で「編み物男子」などという特集記事をみるのはすごく面白いです。男の人は女性以上に妥協を許さない作品を生み出すからです。編み物界の貴公子と呼ばれている先生は「お姫様か!」とツッコミたくなるような、ひらひらの、美しいものを編むために一切の妥協をしていない、素晴らしいニットをいつもお召しになっています。あと、編み物を数学、もしくは図形と捉えて楽しんでいる男性などは、何でもかんでも立体的なものにピッタリの形のカバーを編むことに快感を覚え、もうごますり器にもニットのカバーをつけていました。すったごまが付きますよね?

 

 

 

 そう、うちの主人も一時、小学生の時に編み物にハマったことがあると言っていました。まず、主人の母が、編み物が上手な人で、常に毛糸とあみ針が身近にあったことも理由だったのかもしれません。友達と鍵針編みでどこまで長く出来るかを競い合い、そのときたまたま家に転がっていた赤い毛糸を使っていたせいもあって、ほっそーいアカフンのようなものを何十メートルも編んでいたそうです。

 

編み物には、老若男女問わず中毒にさせる何かがあるのかも知れませんね。

 

 

 

結局ここまでしゃべって、わたしが何を言いたかったのかというと、編み物好きな女性は肉食系である、ということと、編み物好きの情熱は度を越す傾向にある、というこの2点です。今後しおらしく編み物をしている女性を見掛けたら「あっ、関わったら大変なことになる…」と考えていただいて差支えありません。どうか、今日はこのことを心の片隅に覚えてお帰り下さいませ。ありがとうございました。

 

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◆◆◆◆ ④【うどん占い】

↑↑ 1分30秒で声で伝えて戴いたCD作品より。

 

 

香川県民にとって、さぬきうどんがソウルフードであることは言うまでもないが、時として、好むうどんがその人の人間性を浮き彫りにすることをご存じだろうか。

 

 

 

不器用で頑固で腹黒いわたしの姉が勧める店は「むか一(むかいち)」。出てきたどんぶりの中にはしめ縄を思わせる無骨で野太い麺。弾力が強すぎて噛み切るのも一苦労である。消化をも拒否するその手ごわさは、姉そのものであった。

 

 

 

クラス一モテた親友Y子のお気に入りは、なんと名古屋の味噌煮込みうどんである。わが道を行くY子らしいが、必ず頼むという「ホルモン入り味噌煮込みうどん」は、可愛い顔の下に隠れたY子のおっさん性を見事に暴いていた。

 

 

 

頑固で気難しい祖父の行きつけ「松家(まつか)」。どうせ堅くて太いうどんが出てくるのだろうと思っていたら、そのうどんは、エッジの切立ったしなやかな麺と、品のある昆布出汁のうまみが、絶妙なバランスで互いを引き立て合う繊細な一杯であった。

 

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◆◆◆◆⑤【うつくしいもの】

↑↑ 1分30秒で声で伝えて戴いたCD作品より。

 

『うつくしいもの』~130秒の課題より

 

 

 

わたしのヴァイオリンの先生は、花咲か爺さんと呼ばれるほど花が好きで、庭に色とりどりのバラを咲かせていました。

 

 

 

ある5月のこと。「せっかく咲いてるからね」と言いながら、先生がグランドピアノの上にバラを飾りました。それを見たわたしは思わず目を見張りました。見たこともない程の大きな花が、嬉しさと自信に満ちて、きらきらとはじけるように咲いていたのです。

 

 

 

どれだけの愛情をかければこんなに幸せそうに咲くのだろう。レッスンが始まってわたしが先生を独占したら、生まれて初めてのライバルに棘を向けてくるかもしれない。花という枠からはみ出してしまいそうなバラを前に、そんな思いが湧いてきました。

 

 

 

「わたしは美しいものを愛する」「わたしは音楽家だから傷付きやすいのです」と、誰の前でも躊躇なくおっしゃっていた先生。そんな先生が育てたバラは、いまにもしゃべり出しそうなほどの生命力に輝いていました。

 

 

 

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 ◆◆◆◆ ⑥【愛するひとたち】←サロンにて。

 

こんにちは。わたしは先生のサロンで何度か自分で作った文章を読ませていただいているのですが、きょうは趣向を変えて詩を読みたくってみたいと思います。

 

 

 

詩と言っても若いころに書きたくなるようなロマンチックなものではありませんので、みなさまご安心くださいませ。わたしの詩は、すべて生活の中で生まれたものです。

 

 

 

中でも今日のテーマは、愛するひとたちです。普段、家族や友人などを大切に思っていても、その人たちへの想いをあらためて文章にする機会はあまりないと思います。でも、こうやって詩として詠むことで、誰かへの想いを伝えることができたり、その思いを時を経て保存することもできます。いつか、大人になったわが子に、何十年も前の感情を生で届けることもできるんじゃないかなと思っています。

 

 

 

では最初に二人の息子のことを詠んだ詩です。

 

先にできた下の子の詩から読ませていただきます。

 

 

 

 

 

あなたを見ていると

 

不思議でしょうがないときがある

 

 

 

まだ生まれて10年ちょっとだというのに

 

 

 

あなたはときとして

 

大人にもまねできないような

 

やさしさの中に自尊心が

 

しっかりと根を張った主張をすることがある

 

 

 

わたし、あなたのお母さんなのに

 

それが難しいことがあるの

 

 

 

許す、と心を決めることも

 

心を閉ざすこともできずに

 

自分を大切にする方法が

 

わからなくなってしまう時がある

 

 

 

そんなとき あなたを見るの

 

 

 

自分らしく

 

天真爛漫に生きながらも

 

きれいな考え方を重ねた老人のように

 

誰も裁かず

 

誰も傷つけず

 

人も自分も納得できる答えを出す

 

 

 

そんなあなたを見る

 

 

 

いつか、そんな風にできたら、って思いながら

 

 

 

この子はいつも怒られてばかりの6年生なのですが、たまに驚くほど筋の通った冷静な意見を言ってきてびっくりすることがあります。きっとこれはうちの子に限ったことではなくて、お子さんをお持ちの方は一度はこんな気持ちを抱いたことがあるのではないのでしょうか。若さゆえの真っ直ぐさは、親からみても輝いてみえることがあります。

 

 

 

続いて上の子の詩です。聞いてください。

 

 

 

いま目の前で

 

中学2年の息子が

 

宇宙の話をしている

 

 

 

ちょっと目と目の間が

 

広すぎる気もするが

 

わたしは気に入っている

 

 

 

難しいことを

 

よく知っているのに

 

学校の勉強は

 

自分からは絶対にしない

 

 

 

天体望遠鏡を操り

 

どんな星でも見れるけど

 

双眼鏡で星を見ていることもある

 

 

 

いつか彗星の第一発見者になることと

 

自分の展望台を持つことを

 

ひそかに夢見ている

 

 

 

学校の友達は

 

みんな声変わりしているが

 

この子はまだだ

 

 

 

切ない恋など

 

知らないような顔をしているが

 

好きな女の子はいるのだろうか

 

 

 

息子には幸せであることを願う以前に

 

長く生きてくれることを願う

 

 

 

「生きることに意味がある」

 

 

 

この抽象的な言葉を

 

息子の存在を介したときにだけ

 

すんなりと理解できるのは

 

どういうわけだろう

 

 

 

それはそうと

 

 

 

宇宙の話はまだ終わりそうにない

 

 

 

ありがとうございました。

 

下の子の詩と上の子の詩を並べてみると、まったく雰囲気の違う、似ても似つかない詩になりました。同じ親から生まれた子なのに、その子たちについて詠んだ詩がこんなにも違うのです。読むときの気持ちや声も随分違うような気もします。なんだかとっても不思議です。

 

 

 

次の詩は、晴れた空を見て感じたままを書いているうちに、ある人の言葉を思い出した、そういう詩です。

 

 

 

恵み

 

 

 

晴れた空を見て

 

あたたかな日差しを浴びて

 

それを恵みだと思うようになった

 

 

 

たわいもないこと

 

当たり前のことほど

 

失った時に深く傷つく

 

 

 

空の青さや

 

味覚を楽しませる食物や

 

色彩豊かな花々も

 

 

 

すべては偶然などではなく

 

人の心を慰めるためにあるのだと

 

最愛の息子を亡くした

 

あの人は言っていました

 

 

 

これは牧師さんの言葉です。この牧師さんと知り合って間もなく、息子さんが亡くなったことを人づてに聞きました。その後初めて顔を合わせたとき、どんな言葉をかけたらいいのかわからなくて戸惑っているわたしに、いつもと同じ冗談をいって笑わせてくれました。そんなときでも、わたしを気遣ってくれたのです。ほんとうの信仰がなくてはこんなことはできない、と心の奥深いところで感じさせられました。この人は本物の牧師さんなんだ、と思い知らされました。

 

 

 

次に、めずらしく「私も詩を書いた」と言ってシェアしてくれた人がいましたので、その人の詩をご紹介します。これを書いたのはわたしの30年来の親友なのですが、彼女はいつも陰ながら頑張る人を尊敬し、たたえ続けていました。そんな彼女の心持ちがとてもよく表れているこの詩をこの場で朗読させていただけることは何よりの喜びです。

 

 

 

檸檬

 

 

 

私の部屋には

 

もう10年近く 檸檬の絵が掛かっている

 

叔母のりっちゃんが描いた絵

 

ずっとやりたかった油絵を

 

始めたばかりの頃の作品だ

 

 

 

りっちゃんはずっと とても忙しかった

 

辛い事もたくさんあった

 

なのにいつも人の心配ばかりして

 

明るく皆を支えた

 

 

 

60歳が過ぎて 絵を始めたと聞き

 

「りっちゃん よかったなぁ」と心から思った

 

古い農家の倉庫の片隅にアトリエもできて

 

ハシゴで登っていく その小さなアトリエは

 

りっちゃんの夢そのものだった

 

 

 

作品はどんどん大きくなり 力強くなっていった

 

立派な賞までもらって 皆を驚かせた

 

 

 

でも りっちゃんはある時 ピタリと絵を描かなくなった

 

 

 

家のおばあちゃんの認知症がヒドくなってきた

 

おじいちゃんにつづいて

 

 

 

「昨日おばあちゃんとカラオケ行ったんよ

 

おばあちゃんと手をつないで 泣きながら

 

歌ったんよ」

 

笑いながら言う りっちゃん

 

 

 

檸檬の絵

 

私はずっと 部屋に飾りつづけ

 

あなたの事を思う

 

 

 

次はお母さんの詩を詠みます。

 

いい歳になってくると、お母さんって言う事って少なくなると思いませんか?子供に合わせておばあちゃんと言ったり、人に対しては母が…ということが多くなりますね。そこであえて、詩の中では昔のように母のことをお母さんと言ってみたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

今より高い空

 

 

 

よく晴れた秋の日

 

 

 

高い空をみると

 

お母さんを思い出す

 

 

 

いまはすれ違いや喧嘩ばかりになっているけど

 

 

 

幼いころは

 

お姉ちゃんが幼稚園から帰ってくるまで

 

お母さんと一緒に遊んだ

 

 

 

お母さんを見上げるとその背景には

 

今より高い空があった

 

 

 

風にはためく洗濯物

 

やっと咲いた赤いバラ

 

金魚の泳ぐ小さな池

 

 

 

あの頃は小さな庭とお母さんがわたしのすべてだった

 

 

 

本当はこの詩で終わるつもりでした。

 

 

 

でも、最初の原稿を書いた後、大きく心を揺さぶられる出来事があり、そのことについて詩が生まれました。花田先生は今一番伝えたいことを語ってください、とわたしに言いました。だから最後に思春期を迎えたある少年に向けてエールを込めた詩を読みたいと思います。

 

 

 

彼は去年下の子と一緒に小学校でハンドボールをやっていました。今は一つ年上の中学一年生です。彼は東京選抜チームにも招集された素晴らしい選手でした。

 

あまり友達と深い絆を持とうとしないうちの息子も、彼のことだけは尊敬し、大好きでした。

 

 

 

去年小学校を卒業してハンドボール部のない中学に進学し、難しい年ごろを迎えた彼に捧げる詩です。

 

 

 

もう少し話すと、彼にはお父さんもお母さんもいません。母親は若くして彼を産んだあと離婚し、数年後に新しいパートナーを見つけて結婚してました。彼を置いて。彼は今、おばあちゃんに育てられていますが、まだそのことを知りません。いえ、きっと知っているでしょう。

 

周りの人間が彼を愛するのは同情のためではありません。彼には不思議な力があります。ぶっきらぼうな中に垣間見える、むき出しのやさしさ。それって、人間の宝物です。

 

彼は今日のテーマ、愛するひとたちを締めくくるにふさわしい存在です。

 

 

 

愛すべき君へ

 

 

 

あなたが不登校になったと聞いて

 

ショックだった

 

 

 

あなたの良さは分かりにくくて…

 

 

 

だけどその良さを知る人からすれば

 

あなたは100万分の1の存在

 

石ころの中に輝くダイヤ

 

 

 

あなたの良さを分かる人は多くはないけれど

 

それでもみんながみんなバカでもない

 

あなたは自分で思う以上に

 

たくさんの人から愛されている

 

 

 

反抗期を迎えたあなたは

 

無口で照れ屋でまっすぐで

 

どんなに憎まれ口をたたいても素晴らしい人

 

 

 

そんなあなたをみんな守りたいと思っている

 

 

 

苦しんでもいい

 

投げやりになることもある

 

「世の中くだらねー」って言いながら

 

暗闇の中を歩いても

 

若いんだから好きにもがけばいい

 

 

 

でもこれだけは許さない

 

不幸になること

 

 

 

わたしはあなたの幸せを信じる

 

 

 

あなたは愛すべき人

 

愛されるべき人

 

 

 

幸せを願わずにはいられない

 

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◆◆◆◆ ⑦【お気に入りの奴隷】←サロンにて。

 

★★お気に入りの奴隷★★

作・ギンガ先生 朗読:With 花田ぴかる

 

(下文中編み掛け部分を花田が演りました)

 

≪2017年8月13日の

『サロン・ド・ビリケン・ネオ』にて聴かせて戴いた

作品です。僕の判断で、僕と二人で演りました。もちろん

下梶谷氏のGuitar付きで。

原稿を読んだビリケン・オーナー(カミさん)が、

『このオチは甘い!』とモノ申し、

んじゃっこの際ってことで、別ヴァージョンも

書いて戴き、両方演りました≫

 

 

ベビーカーに幼い子を乗せて歩いている若い母親を見掛けると、可哀そうに、と思う。

 

世間一般的には、幼い子供を育てている女性は幸せに見えるだろう。でも貴子には、とてもそんな風には思えなかった。

 

 

 

 『貴子は二人の幼い子供を育てながら、ときどき思った。』一生これが続くのだろうか? 結婚するまでは幸せだった。どんなに報われなかったとしても、『人生が自分の手の内にあったから。

 

でも今は、本音を言うと幸せが崩れるという訳の分からないバランスを、一人で保っているように思えてならない。』なんだか、結婚してからというもの、ずっと人の機嫌ばかりとっているような気がする。『夫の実家と親戚は、貴子にとって絶対的な存在だった。最初は「医者や資産家の家じゃないんだから、」と高を括っていたのだが、』甘かった。家と言う名のカースト制度では自分は常に底辺にいて、夫の側の人間に対しては、どんな嫌味も笑顔で聞き流し、悪いことをしていなくとも相手が気に入らなければ「すみませんでした」と言い、数々の余計なおせっかいには「ありがとうございます」と言わなくてはならない。それが世に言う「良い嫁」なのだ。

 

 

 

この立場ほど情けないものはない、貴子はそう思っていた。』それなのに、夫はそんな親戚の中で自分の嫁が「出来の悪い嫁」と言われることを何よりも恐れていた。この人の言った『「君をしあわせにする」』という言葉は一体どういうことだったのだろうか。

 

 

 

 『貴子の毎日は忙しかった。まだ一歳にもならない下の子を自転車の前に乗せ、』長女を幼稚園に送って帰ると、急いで洗濯物を干し、朝ごはんの片づけと昼食の用意、昼食を済ませると、今度は『下の子をまた自転車に乗せて、』長女を迎えに行く前に買い物を済ませておく。『そこから幼稚園のお迎えと夕食の準備にとりかかり……。休む暇なく動き回っても、一日の仕事が終わるのはいつも夜中の2時をまわっていた。

 

 

 

 子育ては大変だったが、日々充実していた。子どもたちが時々見せる素直な表情や優しさに触れることで、わが子は命よりも大切な存在であることを実感できた。でも、『夫に対する気持ちは日々色あせていくのを、忙しさの中で気づかないようにするのが』精一杯だった。

 

 

 

ある日姑から電話できついことを言われ、誰にも吐き出すことが出来ず、貴子は思い切って夫に話してみた。この人は何と言うだろう。

 

「今日ね、お義母さんから電話があって、昨日わたしがおみやげで持って行ったお菓子を誰も食べないから取りに来いって言われちゃった」

 

夫の実家まではバスを使っても1時間はかかる。

 

少しの沈黙があったあと、

 

「そう……」

 

夫はそれだけ言って、テレビをつけた。

 

 

 

 

 

彼と出会ったのはそんなときだった。

 

貴子は、上の子がようやく幼稚園に慣れたくらいの頃に、小さな事務所で週に3日のアルバイトを始めていた。もちろん家計も助けたかったが、実際は、家以外のコミュニティとつながって自分を保ちたいということも心の中には大きくあった。』家という組織の中では、底辺の存在かも知れないが、世の中において一番つまらない人間ではないことを確認できる場所が必要だった。

 

彼はバイト先の同僚だった。としは七つも下で、まだ結婚もしておらず、若々しく輝いていた。

 

「こんなに爽やかな人って本当にいるんだ」

 

それが彼を初めて見たときの素直な感想だった。まるでデビューしたての若い俳優のように、初々しく、楽しそうで、まだ男の子っぽさが少しだけ残っていて、とてもまぶしかった。

 

 

 

彼としゃべっているときの職場の女性たちは、みなとても嬉しそうに見えた。

 

「そうだよね。こんなにカッコ良くて素敵なんだから、女性なら誰だって好意をもつよ、絶対」

 

そう思った。

 

 

 

彼は、貴子にも無邪気に話しかけてきた。

 

「貴子さん、おはようございます。風邪気味って言ってたけど体調どうですか?」

 

ほんの一言でも、ちょっとした会話でも、胸が高鳴る。

 

「ええ、今日はもう大丈夫。ありがとう」

 

 

 

(結婚していて、子供が二人もいるわたしが、若い男の子とあまり嬉しそうに話すと、自分が惨めになるから、気をつけよう)

 

そう思って、胸の内とは正反対に、顔色を変えないよう努めた。

 

 

 

 

 

ある日、仕事のない日にまとめて洗濯を済ませようと下の子を遊ばせながら二回目の洗濯機を回していると、義父から電話が掛って来た。義母が腰の骨を折ると言う大怪我をしたということだった。大急ぎで病院に駆けつけると、そこにはベッドに横たわった義母がいた。

 

「お加減いかがですか」

 

貴子は声を掛けた。

 

「何ともないのよ」

 

 

 

強がりからか無表情に答えた義母の顔を眺めながら、貴子は自問した。家を訪ねたときの手みやげさえ受け取らないような人間の世話をするのが、嫁の務めなのだろうか。誰か、ほんとうに誰でもいいから『「貴子に辛く当たるからこんなことになるんだ。世話をしてもらう前に貴子に謝れ!」』と言ってはくれないだろうか。

 

もちろん、そんなことは誰も言わない。そのかわり、気がつけば仕事のない日には、貴子が着替えや必要なものをもって病院に来ることになっていた。そして貴子も知らない間に笑顔でそれを承諾していた。

 

 

 

幼い子供たちの世話をしながらの、姑の見舞いは心を蝕んだ。必死で明るく気持ちよく務めを果たそうとするのを阻止するかのように、姑は丁寧な言葉を使って命令し、猫なで声で侮辱した。貴子はそれを』笑顔で受け止めて、家に帰ってから子どもたちに当たり散らした。

 

子供が寝静まると、そんな自分が情けなくて情けなくて、涙がとまらなかった。

 

 

 

そうやって長く苦しい1ヵ月が過ぎ、とうとう姑が退院する日が来た。貴子は心の底からホッとした。少し休む時間ができるということもそうだったが、しばらく姑の顔を見なくて済むことが一番ありがたかった。これ以上ひどい扱いを受け続たら、自分が本心を言ってしまいそうな気がして怖かった。貴子は久しぶりに子供たちと送れる穏やかな日々を満喫した。

 

 

 

ある日、義母が入院中みんなに世話になったお礼に手料理を振る舞いたいと言って、しばらくぶりに親戚一同が会することになった。貴子たちも家族そろって花束を持って夫の実家を訪ねた。玄関ドアを開けると、満面の笑みの義母が『「良く来たわね」』と子供たちの手を取りリビングに連れて行った。続いて部屋に入ると、それぞれが『「まあ、大きくなったわね」「ほんとに良かったわね」「亮ちゃんの受験はどうだった?」』などと久々の会話を交わしている。そうやって和やかに食事会が始まった。義父はみなに酒を注ぎながら自分も飲み、とても楽しそうであった。夫は久々に会ったいとこ達と話をしながら愉快に笑っている。子供たちも、年上のお兄ちゃんやお姉ちゃんに可愛がられて、嬉しそうに遊んでいた。

 

 

 

みんなが幸せそうだった。義母は見舞いに来てくれた人すべてに「ありがとうございます」と話しかけて『「さきちゃんなんか二回も来てくれたのよ」』などと見舞いに来てくれたお気に入りの姪っ子のことを自慢げにみなに話している。でも、仕事のない日はほとんど毎日見舞いに行っていた貴子の話は一度も出なかった。『貴子はまるで、一度も見舞いに行かなかった嫁のような顔をして、義母の手料理を一人で食べた。』ただ一人、誰にも気づかれない中、貴子だけがバカみたいに傷ついていた。

 

 

 

涙をこらえて家に着いたとき、一番近くにいるはずの夫が『「いやー、今日は楽しかった」』と言った。

 

 

 

いつの間にか週に数回のアルバイトが、癒しの時間になっていた。仕事のきつさなど一向に気にならない。顔を上げれば、いつでも遠くから彼を見ることが出来るのだ。『義母もバイト先までは追いかけては来ない。ここでは結婚をする前の自分になれた。

 

 

 

この頃にはもう、彼に対する自分の気持ちをうまく隠せているのかどうか、自信が持てなくなっていた。『彼に話しかけられると、目が輝いていることが自分でも分かる。もう、この気持ちを抑えることはどんどん難しくなっている。』好きで、好きで、どうしようもない。

 

 

 

ある日、職場の年上の女性と仕事の引継ぎをしているとき、ふと視線を感じて目を上げると、ぼんやりと少し寂しそうな表情で彼が貴子を見ていた。ずいぶん前からそうしていたことが様子から見て取れた。『そのとき貴子は直感した。彼もわたしのことを想っている。

 

 

『 そういえば彼が話しかけてくるときはいつも、彼の目も輝いていた。嬉しそうに、楽しそうに。そう気づいた瞬間、これまでの彼の行動の中に込められた彼の想いに次々に気がついていった。そうだ、あの時も、あの時も、彼は貴子に思いを伝えていた。

 

 

 

貴子が出社する時間になると、彼は、なんだかんだと用事を作っては『「おはようございます」』と毎日のように言いに来てくれた。重い段ボールを運んでいるのを見掛けると『「あっちで、リストのチェックをお願いします」』と言って代わってくれたこともあった。カッターで手を切ってしまった時「自分でできます」と言っても、消毒をしてガーゼをあててくれた。その時の彼の横顔からは、まるで「このくらいはさせてくれよ」とでも言うような強い何かが伝わって来て、少しこわかった。そんな出来事の中で彼は言葉にならない熱い思いを貴子に伝えていた。言葉以外のすべてを使って、自分の想いを伝えようとしてくれていた。『貴子はこれまでそれに気付かないようにしていたのかも知れなかった。

 

 

 

その後も、貴子は積極的な行動に出ることはなかった。どんなに好きでもその気持ちをできる限りかくして生活した。ただ、二人で仕事上の何気ない会話を交わすときだけは、『以前にはなかった熱い思いが互いの視線の中だけで語られていた。言葉を交わしているほんのひと時だけ、』≪この時のために生きている≫とさえ思った。 ←

 

↑↑この≪≫内のみ二人でユニゾン♪

 

そして、彼に惹かれれば惹かれるほど、家族から大切にされている感覚もないまま家族のために尽くしている自分が、どうしようもなく寂しかった。

 

 

 

そうして家庭での苦しさを彼への淡い恋心でなんとかごまかしながら生活しているうちに、貴子は体調を崩した。それまでの心労や育児の疲れなどを考えると当然かもしれなかったが、一か月以上熱が続いて、まともに動けない。仕事を始めたのは時期尚早だったのだろうか。このまま仕事を続けると、体力的にも精神的にも疲れ果て、また子供に当たってしまったり、なにもかもがめちゃくちゃになってしまうのではないか、という不安に駆られた。家族と一緒にいながらも、』心はいつも彼のことを考えていたことへの罰が当たったのだとも思った。『いつまであそこにいたところで叶う恋ではない。この辺りでこの気持ちに区切りをつけなければ、もう心も体ももちそうにない。彼だって、こんなところでぐずぐずしていてはずっと先に進めないのではないか、という思いもあった。貴子は苦渋の決断をした。』もう辞めよう。

 

 

 

会社を辞めることを職場の人たちに伝えた数日後、職場で仲の良かった同年代の女性二人が「たまには大人だけで楽しみましょうよ」と、ディズニーシーに誘ってくれた。

 

 

 

気の置けない仲間と行くディズニーシーか。久しぶりだな。

 

 

 

子供たちを夫に預け、久しぶりに若いころに戻ったような気持ちで、普段は忙しい母でもある職場の女3人は束の間の楽しい時間を満喫した。

 

 

 

貴子はミッキーとミニーのぬいぐるみがついたキーホルダーを買ったり、雑誌に載っていたこの時期限定のスイーツを堪能したりした。柄にもないことをしてはしゃぎ尽くしたかった。他の二人の同僚も、ここ何年も子供たちを連れてしか出掛けたことがなかったせいか、『「これ、テレビの特集で見たランチ!美味しそう、食べよう!」』とか、『子供には秘密で来たからお土産を買えないな、』などと言いつつも、大はしゃぎでかわいい箱に入ったお菓子や、ぬいぐるみなどをカゴに入れている。『この3人にとって、忙しい育児からの解放感は相当なものであった。

 

 

 

一日中遊び尽くして気がつけばもう夜の八時になっていた。辺りはすっかり暗くなり、ほとんどのアトラクションがもう終わっている。そんな中、メディティレニアンハーバーのゴンドラだけが、最終便の乗客を待っていた。

 

 

 

「最後にあれに乗ろう」

 

 

 

3人は1日を楽しく遊び、食べ、買い物をした充実感に満たされて今日最後の船旅に出た。ホテルやレストランの灯りが、小さな地中海に映ってきらきらしている。さすがに朝からはしゃぎ続けていた女たちは、ここで一息ついてそれぞれの想いにふけっているのか、しばらく黙っていた。

 

 

 

「ここに、あの人と二人きりだったら」

 

 

 

いつの間にか貴子の心の中はそれだけになっていた。

 

 

 

もし、あの人がここにいたとしたら、一言もしゃべらないでほしい。わたしもただ、黙ってずっと彼の横顔を見ていたい。……二人でここに来たかったな。そう、とびっきりしあわせな恋人同士として。すべてを捨ててあの人のもとに行けたら、どんなに幸せだろう。ずっとどこかでそう願っていた。もし彼がここにいて、お互いの想いを伝え合うことができたなら、気持ちを確かめ合うことができたなら、わたしの人生はもっと違うものになっていたかも知れない。

 

 

 

わずか数分の夜の船旅は、貴子には長い長い、願いの旅となっていた。

 

 

 

最後の勤務の日。いつものように仕事を終えると最後にみんなの前に呼ばれて「今までありがとうございました」と笑顔と拍手で迎えられた。貴子は胸の内を隠して、』「こちらこそ、お世話になりました。ありがとうございました」『と笑顔を返した。そしてそっと彼の方を見た。また、いつかのように、わたしのことを見てくれているだろうか。

 

 

 

みんなが笑顔で貴子を見つめる中、彼はただ一人、うつむいていた。あのときとは正反対に。決して貴子を見ないように。

 

 

 

やっぱり彼は、周りのどんな人よりもまっすぐな人だ。貴子はそう思った。そして、そのまっすぐな気持ちがこれまで自分に向けられていたことを、改めて誇らしく思った。

 

 

 

翌日から彼に会えない生活が始まった。相変わらず親戚たちからの余計なおせっかいには頭を下げてお礼を言い、気に食わないと機嫌を損ねたことに対しては頭を下げて許しを請い、まるで唯一優越を感じられるお気に入りの奴隷のように扱われながら、貴子の心の中で一歩前に踏み出す決心がつきはじめていた。

 

 

 

もう怖いものなんかない。わたしはあんなに好きだった人を失ったのだ。それに比べれば、嫁を人とも思わない親戚や、ずっとわたしの苦労を見て見ぬふりをしてきた夫と別れることなど、痛くもかゆくもない。

 

 

 

今まで家族を守るため、と思って心にもないことばかりをやっていたけど、もうやめようと貴子は思った。こんな自分を好きになってくれたあの人のために、何一つしてあげられなかったけど、ひとつだけ約束できることがあるとすれば、それは、』自分の心を大切に生きる、ということだ。それがたった一つ、貴子を好きになってくれた彼のためにできることのような気がした。

 

 

 

貴子はついに夫に本音を話した。夫の両親と親戚にこれ以上心を踏みにじられたくないこと。それを見て見ぬふりをして、平気でテレビを観ていた夫にも拭いきれない不信感があること。姑からのストレスがあるたび、子供にひどく当たっていたこと。これまで一人で抱え込んでいたすべてをぶちまけた。

 

 

 

「良い嫁になれなくてごめんなさい。でも、これ以上あなたが両親と仲良くしてくれと言うなら、あなたとはもう終わりにさせて。自分だけは自分のことを守っていいでしょう」貴子は最後にそう言った。そして『「だったら出て行け!」』という言葉を、目を閉じて静かに待った。

 

 

 

長い沈黙の後、夫は『「君の言うとおりだ」』と言って、貴子の腕を掴んで抱き寄せた。貴子はどう受け止めて良いのか分からず、ただ、腕の中で戸惑っていた。わたしはこの人と、最後の抱擁をしているのだろうか。

 

 

 

「こうやってきつく抱きしめると、まだ付き合っていたころ、せまいアパートでこうやっていたときのことを思い出すよ。あの頃に戻って、もう一回やり直そう。これからは君を守る」』夫は力を込めてそう言った。

 

 

 

今、必死に守って来た幸せが完全に終わったと思っていた貴子は、思いがけず何年かぶりにきつく抱きしめられながら、訳の分からない熱い涙が頬を伝うのを感じていた。

 

 END

 

  

 

・・・・・・最初に書きましたが、

『このオチは甘っちょろかろーもん!!』

と、御不満の諸兄姉にお応えして・・・・・・

 

◆別バージョン…

もう一つの結末を、

ご堪能あれっ!(-_-)/~~(^^)/◆ ↓↓↓

 

 

 

「だったら出ていけ!」 怒鳴り声が響いた。

 


貴子は驚かなかった。この人は何も分かっていない。

 

 

 

「出て行くのはあなたよ。わたしには子供を育てるための家が必要なの。今後あなたが再婚しても、養育費は子供が大学を卒業するまではお願いしますね。でも、わたしが再婚したら、そのときは養育費はもういいわ。新しいパパのプライドを傷つけたくないの」

 


貴子はそう言うと、子供たちが初めて自分の足で立った時のような、晴れ晴れとした気持ちで夕食の買い物に出掛けた。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

『薫香』

作・ギンガ先生

サロンにて。

 

 

わたしには一つ上の姉がいます。姉はもともと不器用でわがままで気難しい人だったのですが、中学生の頃に父が亡くなると、タガが外れたように滅茶苦茶をするようになり、高校になると、男をつくって退学し、駆け落ち同然で同棲を始めました。

 

ある日、男の家から久しぶりに着替えを取りに帰ってきた姉に、

 

「わたし、宗教に入ったから」と突然告げられました。

 

「なんでなん?」わたしは姉を責めました。

 

姉は無表情で「あんたには分からんわ」と言い捨てました。

 

「分かる訳ないやん。学校やめて、駆け落ちして、宗教入って、何やっとん?」

 

 

 

重苦しい沈黙の末、すこし冷静さを取り戻したわたしは切り出しました。

 

「危ない宗教多いけど、そんなんじゃないよね?」

 

「そんなんじゃない」

 

「じゃあ、わたし見に行くわ」

 

「え?あんたもやるん?」

 

「やるわけないやん。見に行くだけ。絶対入りませんけど、姉がやっていることがどんなことか知りたいんで、お話聞かせてもらっていいですか?って担当者に言っといて」

 

「あんた、めちゃ勧誘されるで」

 

「断る自信ある」

 

「分かった」

 

数日後には、わたしは姉の世話をしてくれているというおばさんの車に姉と一緒に乗っていました。道中、そのおばさんが嬉しそうにこの宗教がもたらした奇跡体験について話すのを、ドン引きで聞いていたのを覚えています。30分くらいするとその宗教団体が所有する建物が見えてきました。なんだかモスクのような形をした立派な建物だったように記憶しています。

 

 

 

中に入ると目立つところに看板が立っており、さっき車の中でおばさんから聞いたような奇跡体験が書かれていました。一番最後に書かれていた「祈りの最中に薫香を嗅いだという人もいます」の一文が目に留まりました。

 

(薫香って。いい匂いがしましたってこと?これが一番胡散くさいわ。だって匂いなんて一番とりとめがなくて証明できないもんやし。ちょっと庭の金木犀やモクレンの花が香っただけで、薫香やー、って騒いでるだけやわ)

 

 

 

中に入ると年配のおばさんが「よくいらしたわね」と迎えてくれました。

 

その人は「先生」と呼ばれていました。

 

玄関わきの和室に招かれ、姉や世話人のおばさんと一緒に中に入ると、先生はその宗教がどんなものなのかを丁寧に話し始めました。

 

その人の雰囲気や話の内容からしても危険きわまりない宗教ではないように思えました。

 

 

 

しばらくすると、お香のようないい匂いが漂ってきました。

 

「ん?これまさか薫香じゃないよね?」

 

わたしは鼻をくんくんさせながら部屋の構造を確認しました。わたしを信じさせるために、隣の部屋でお香を焚いているのかも知れません。

 

「欄間はないな。でも襖の間から匂いが流れ込んできているのかも」

 

でも襖はきっちりと閉まっているように見えましたし、匂いはますます濃くなっていきます。

 

気が済むまで匂いを嗅ぎ、「とにかく濃く甘い香りがしていることは間違いない」そう確信しました。

 

その瞬間、香りが消えました。今度はどんなに鼻をクンクンさせても一切匂いがしないのです。完全な無臭です。ふつう、お香のように染みつく香りは、数時間は消えないものです。窓も開けず、薬剤も撒かず、強い香りが一瞬で消えるなんてことはどう考えてもあり得ません。匂いが消えて初めて、あれは間違いなく薫香だった、と確信しました。

 

わたしはもう、先生の話など上の空になるほど感心していました。神さまのやることってすごいな!なんて見事で鮮やかなんだろう。匂いをさせることではなく、消すことでわたしに薫香だということを示した。少なくとも建物に入ったときからわたしの心を手に取るように分かっていたのだろう。疑っていたことも、香りを確信した瞬間も。

 

 

わたしはこのことを誰にも話しませんでした。姉が勢いづいても困ります。ただひとつだけわたしに言えることがあるとすれば、それは、薫香というものは爽やかな香りでも複雑な香りでもなく、まるでChannel No.5のように深く甘い香りだったということだけです。

 

    END

 

Hanadaこの話

私が蒐集したフォークロアな話の中で

一番好きな部類の話です。

このエピソードには

実にヒントがある。

立花隆や様々な巨人たちが

真理を探るうちに

辿り着くに違いない

『何処か』

が見える気がしてならない。

誰の言葉かさっぱり思い出せないし

出自はどうでもいい・・・

『類推(アナログ)は、

常に疑わしい仮定にすぎないが

こいつは真実に近い』

さまざまにインスパイアされる

言葉であります。

例えば ひとつは・・・

似たような奴らってね?

沢山いるやん?

やっぱ似てんだよ。

騙されんなよ。んんでえ

ダマすなよ!

無責任によお。

・・・が、ひとつ。

もう一つ別の側面は、

『結論は実はいらない

~分析するまでもなく

そこに在ること は

我々には実は既に解っている

見えていることかもしれんでえ~

・・・・・

んんんとっ

『食うて寝て

つるんで迷う

世界虫

うえ天子より

した庶人まで』

どうせ虫やあん

気にしなさんなあっ

・・・

 ってのもありだと思う。

本物も偽物もあるわけねえんだよ。

どーでもいいことなんだよ。

奴らの騒いでること。

だから宗教の自由を認めないのは

ヤバイんだよ。

だけどさ

宗教の違いを認めよう、って

理想論やん?

両刃の刃

宗教。

禁じ手、

宗教。

安易に語るな!

入るな!

お手軽に

救われてんじゃねえ!

てか

こら!

教祖ども

アナクロなんだよ!

んでなんで

今日にまだいるんだよ?

あめえら!

『やみあがりシアター』

の作家が

舞台の国旗に込めた

わかんないが

暗喩はさ、

ベルトルッチが

『1900年』で

ことさらに翻した赤旗と

同義であるという

矛盾w(゜o゜)w

昔あの映画を教えてくれた男と話した。

★なんでさあ

あの映画、

コミュニスト万歳の映画なはずなのに

奇妙な普遍性

芸術性を感じるのかねえ?

『わかんないがあれは』

どうも別格なんだよ。

僕には。そして

友には。

そして・・・きっと

世界中の芸術を愛する者にとって。

僕は予言しやう。

これからまあいろいろ

世界がさまざまな

目に遭って

ある日、

小津安次郎の東京物語のやうに

ベルナルド・ベルトルッチくんの

『1900年』が

世界のベストワン

と云う変態さんな意見が

主流をしめる年も

訪れる

かも

知れん、と

思う。

旅先で

酔って

加筆。

寿っ!

とこぶきことぶきことぶきいっ。

 

 

再現性の無い奇跡は

起こらないし

起こしたりしちゃあいかんのだよ。

でね?再現性があるように

思えるのが手に負えないんだわっ。 

 

実は僕の母の心霊体験に

『金吾だあ!!』

ちゅう声を聴いたというものがあり、

そのお告げは、

外れたのに、当たったんです。

もしピタリと当たっていたら、

僕の母は、何か新興宗教に入信するか

最悪 己が神がかりを

『演じ続けたかもしれぬ』と

わらくしは思う。

そして何故その珍現象が

私の奥にこびりついたかその訳が

ようやく分かってきた。

『外れていたのに当てたのは』

奇跡ではなく

まぎれもなく母だ。

『金吾だっ!』と、

2度も

何が喋ったのか単なる幻聴か分からないが

このエピソードの妙は

『ズレ』以外にはないのだ。

電話帳の

今井金吾に探す相手は居らず

その上だか下に居た

奇跡。

ズレていたから覚えている。

もろ当たったら

『思考をぶっ飛ばす』人も居るんだ。

ぞっとする。

リアリティ。上記の「ギンガさん」の凄い点は

薫香を嗅いだからといって

入信していないところに他なりません。

くんこう、?

それが何だというのですか??!!

そのことで、人生を、その教団に委ねる

思考停止は、逃避であり

人生の放棄だ。

奇跡とマジックは限りなく近い。

天才映画監督のケン・ラッセルが、

ユリゲラーの映画を撮ってしまったやうに。

(って見てねえけど、想像で云ってます)

感性の鋭い奴ほど引っ掛かるんだよ。

魔術師フーディー二が

完璧なマジシャンだった故に

亡き母と会わせてくれる霊媒師を探し

全員のマジックを暴くしかなかったっつう悲劇も痛切だが、

コナン・ドイルの自称霊媒師との阿呆な結婚やら、

ちゃんとした芸術家たちが踊るさまはやはり腹が立つ。

気付けよお!

もう到底、後悔すらできない精神に浸りたい人の

哀れな選択だ、と私は思う。)

 《追記:何故私達は形は違えど 何らかのの表現を求め続けるのか?(←鑑賞する側であろうが、ぱふぉーまーがわであろうが)何故やりたがり、見たがるのか?

『それは自分で探しているからに他なるまい??!!真の不思議を。真に妙ちくりんな何か、岡本太郎の言葉でいえば、自分なりの「いやったらしいもの」を。

★確かめたい、確かめようとすることが、生きる、ことの一つの重要な理由のひとつである証拠だと思う。先日観た『やみあがりシアター』なる、劇団?ではないな、あれは個人の作家だ、若き作家・演出家が、(タイトルは「すずめのなみだだん!」とかいったはず)

最初、舞台をイタリアの国旗と、ドイツの国旗の色にしていた?気がする、もちろん、ファシスト、ナチズムの象徴だろう、(←しかしジャマイカのボブ・マーレイで僕の中でボヤケテ、勘違いかも?)宗教は究極のファシズムっちゅうことだわなあ。

その舞台で、宗教団体の教祖が皆とドンドコ踊る。そこに、何の意味もない。だが、おそらく教祖ないしは、誰かが、地球の声を聞いたのだろう。それは、教祖にとっては本当だったのかもしれないが、一般化しようとしたから茶番になり、聞いたと云い出した者は、切り株に頭をぶつけて死んだウサギの、その切り株を祭る図式と同じレベルだったんじゃないかなあと想像した。教祖たちは恐ろしい馬鹿だ、巻き込まれる者らはお笑いで悲劇だ。どうして宗教が色っぽくないのか?何故にして皆一様にダサいのか、アホにしか見えないのか、気持ち悪いのかがよく分かる。

そして芸術家の振りをしたがる彼ら。

その絵を買ったら、歌を聴いたら御利益があるかもしれんと思わせるのはなんと滑稽な分かりやすい詐欺だろう!!!ほんとうに笑ってしまう。神憑り商売。芸術 芸能者への『まっこと失礼な冒涜行為だ』死ねやっ。

★芸術家と、宗教家は、全く違う。

『地球の声を聞いたのが芸術家であれば美しい表現だけで済んだかもしれん』感動した一個人の表現で済むから。それを云い出した奴が思い上がりの馬鹿だったせいで、そうなる。だけどゴミみたいな奴らが政治家にゴロゴロ居るように、さらに手に負えないのが奴らだ。神様持ち出すんだからさ、地球とか宇宙とかさ、ええかげんにせえや。仏教もキリスト教もごちゃ混ぜにするし。なあああんでか奴らエルサレムとか行くんだよな。ツアー組んでさ。ローマ法皇とやたら写真撮るし、ものすげ似てんだよ。つまりジョークなんだよ。類推は、・・・真実に近い、んだよ。本物も偽物も無えんだよ。

宗教家になんて誰でもなれる、って俗説はそういうことだと感じる。

 

宗教家と芸術家か理解し合ったら終わりだ。レニリーフェンしゅたーる的、でもーにっしゅなサデイスト達が、ずずずんずわーる♪っつって、芸術家になれなかった芸術を呪っているキチガイ共がブルドーザーでめったくそに均して、ちゃんちゃん♪??》